フェイスブックで、「11で割ったら1余る数は1から1000のうちで幾つあるか?」の問題が、中学生には途方もなく難しいのか?との話題がアップされていて、ふ~んと思いながら頭の中で考えてみた。
12、23、34、・・・、指で数えれば何とか解けそうかな?
89、100、111、122、・・・、えーと次は133?
133を11で割ったら・・・、え~と・・・。
正解は「11n+1が1000までに幾つあるからだから、n=90」。
指折り数えただけでは、簡単に答えは出そうにない。
この問題を前にして途方に暮れている中学生の気持ちが、私にはとても良く理解できるのである。
人のタイプを理系と文系に分けることが有るけれど、僕は自分の事を理系人間だと思い込んでいる。
その、理系の定義が何かはあまり分かっていないけれど、少なくとも大学では自分で選んで理系に進んだので、理系人間のつもりでいるのだ。
でも、「理系」ではなく「理数系」と言われると、自分でも悩んでしまう。
この「数」の部分が、私は大の苦手なのである。
高校生の頃、数学の授業では完全な落ちこぼれ。
大学入試での数学は限りなく0点に近く、大学入学後は数学の単位を落として留年。
今になって考えれば、数学が0点で良く理系に合格出来たものだと呆れてしまう。
単純な計算ならば何とかなるけれど、文章問題となると完全にお手上げ。
入試の時は、最初の計算問題だけは答えの欄を埋められたけれど、次の問題からは全て空欄だった気がする。
数学には論理的思考が必要だとは良く聞く話しだけれど、僕は論理的に物事を考えられないのかもしれない。
この、中学生が途方に暮れる問題にしても、計算式等を考える前に、まず最初に直感的に指折り数える行動をとってしまうのだ。
これではとても理系人間とは言えそうにない。
でも、中学生までは理科が好きだったことは確かである。
それが高校生になると生物、化学、物理に分かれ(地学もあったかな?)た。
その頃の入試は、確かこの中から二つを選択することになっていたはず。
化学は選択しないつもりだったので、高校のテストは全てカンニングで済ませていた。
物理は計算が出てくるので苦手科目。
地学は入試科目ではないので、適当に流していた。
生物は好きで、入試の時は多分満点だったと思う。
多分、このおかげで大学に入れたのだろう。
現在、僕が一番興味があるのは地学。
高校生の頃の地学の先生は、そちらの方面では結構名前の知られた人だったらしい。
今となっては、高校時代にもっと地学の勉強をしていれば良かったと後悔している。
そうすれば、川原の石ころを見るだけで、その上流の地質がどうなっているのか直ぐに理解できるだろうし、化石だってもっと簡単に見つけられるかもしれない。
その他に、最近は歴史も好きになってきて、今、日本史や世界史の授業を受けたとしたら、多分もっと真剣に授業を聞いているだろう。
ところで、この日本史や世界史って文系の選択科目だったはず。
結局は、何に興味があるかが大事なことであって、理系、文系なんて大して関係ない話しなのである。
うーん、長かった割にはつまらない結論だったかな?
どっもで〜す(+∀+)。
ワタクシ、ヒデさんの様に学はありまてんが…。
なんだか我が事の様に読み、苦笑い….(+∀+;)。
理系or文系、よく言いますね。ワタクシも自身を理系と思いつつも数学はニガテでした。
理系は論理的な思考に長けている…ということだと思いますが、
ワタクシのまわりにいる理系人間(それが商売の)は、
ことごとく感情に左右され信じられないほど非論理的な行動をとります。
理系人間or文系人間は、血液型判断と近いと思うに至りました。
果たして海外ではどうなのでしょか?学部や職種の区別に使えど、
人間のタイプを選別するために用いるものでしょか?
ちなみに、ワタクシ的に「歴史」研究は本来、感情を一切排除し、
事実の追求と積み重ねが最も大切と思っているので、理系に入れたいです(+∀+)。
確かに理系人間に論理的な人は少ないかも。(笑)
好きなことと、それを探求することとは別なことなのかな~。
でも、好きでもないことを探求する気にはなれないだろうし。
まあ、血液型判断と同じってことなのでしょうね。
ちなみに私は、自分の事をO型らしい人間だと思ってます。(笑)