タバコを吸わなくなってから、他人の吸うタバコの臭いがやたらに気になることがある。
歩きタバコの人とすれ違う時、その煙を直接吸ってしまった時は勿論だが、すれ違った後でも、その人が歩いた10m程の空間はにはタバコの臭いが漂い続けていて、思わず呼吸を止めてしまう。
病的なまでにタバコの臭いに敏感な人がいるが、今となっては私もそんな人の気持ちが良くわかるようになってしまった。
だからと言って、私はタバコを完全に止めたわけではない。
正確に表すとしたら、タバコを吸うのを我慢している状態が長く続いているだけである。
飲み会の時は普通にタバコを吸うし、キャンプの時もタバコは解禁だ。
心の自由を求めてキャンプに来ているのに、そこで自分の好きなことを我慢していては、心が解放されることは決してない。
だからタバコを我慢する必要はない。
かみさんから白い目で見られるけれど、それが私の論理である。
それにしても、何故、肺の中に煙を吸い込む様な行為を人間は好むのだろう。
太古の昔から、その行為は人間の本能に刷り込まれてきたのだと思う。
いや、人間だけではなく動物でもそれに変わりは無い。
動物園の猿でさえタバコを吸うくらいだ。
ニコチンは興奮作用と鎮静作用を持つと言われている。
眠気をとるため、興奮を鎮めるため、タバコを吸う理由は人それぞれだが、動物の本能に係る部分では、「ストレスからの開放」が一番大きな要素となっていると考えられる。
動物園の猿がタバコを吸うのなんて、ストレスの現れの最たるものだろう。
自然界に生きる動物はストレスには無縁な様に見えるが、実際は、生存競争のためのストレスなんて人間の比ではないはずだ。
もしも自然界の動物がストレス解消のためにタバコが吸えたとしたら。
メスの獲得競争に敗れたオス鹿達が森の一角にたむろし、所在なさそうに足を組んで皆でタバコをふかしている画を私の頭の中に描くのは、それ程難しい作業ではない。
もしもそこにちょっとだけ無理があるとしたら、彼らの前足はその構造的にタバコを挟むのには適していないと言うこと程度である。
それだけ動物の本能に深く係ってくるタバコなのに、最近の人類における喫煙率の低さは一体何なんだろう?
ストレスだけならば、一昔前よりも現在の方が格段に増えているのは間違いない。
特に最近の若者のタバコ離れ。
昔ならば中学生や高校生にでもなれば「ちょっと悪戯でタバコでも」と考えたはずなのに、そんな素振りも見せないままに成人になり、タバコを吸っている人間に冷ややかな視線を向ける。
何故そこまでタバコと無縁でいられるのだろう?
健康のため?
ニコチン、農薬、環境ホルモン、化学物質、ばい菌、ウイルス、回虫、放射能。
健康に少しでも悪影響を及ぼすものは排除しようと気を使って、心の病気になってしまう人まで出てきそうだ。
吸わないだけならまだしも、吸っている他人を批判したりする傾向まである。
こうなってくると、動物行動学、文化人類学的見地からも説明は難しくなってくる。
ならば自分は何故タバコを止めたのか。
それは、携帯を持たなかった時と全く同じ理由で、経済的なことに尽きる。
一箱400円を超えてしまっては、それを毎日吸い続けるのは、携帯電話のパケホーダイの料金よりもはるかに高くなってしまうのだ。
繰り返しになるが、私はタバコを止めたのではなく、吸いたいのを毎日我慢しているだけである。
我慢しているのが経済的理由なので、キャンプの時くらいはちょっとした贅沢も許される。
飲み物は金麦のままだったとしても、1本20円のタバコくらいは吸っても良いだろう。
そして次の日からは何事も我慢しながら仕事をするのだから、ちょっとした贅沢を我慢するのはたやすいことだ。
すれ違った後のタバコの臭いが気になって、色々なことを考えてしまうのである。
えぇぇぇぇぇぇぇ!
我慢していたのですかぁ!!!!
私は経済的理由でヤメさせられました!
今ではまったく吸いたいと思わなくなりました。
一日、ロング40本のヘビ~だったのにねぇ。
今や事務所内の喫煙者は女性だけになってしまいました!
ぽんたさん、こんにちは。
昨日は雪秩父でタバコふかしてましたが何か?(笑)
5本吸ったので5×20円で計100円。
我が家が温泉宿に泊まるのなんて年に1度くらいですから、これくらいの贅沢はしても良いだろうと・・・。
そんな問題じゃ無いですね。(^_^;
私も普段は別に吸いたいとも思いません。
でも、吸ったら美味しいのは確かなので、我慢しなくても良い時は我慢しないことにしています。