紋別市鴻之舞、かつてこの地に日本一の金鉱山が存在し13,000人の人々が暮らしていたと言う事実を知る人は今は少ない。
その存在が草木に埋もれてしまう前に、一度その姿を見ておきたかった。
5月のGW、大賑わいの観光地に背を向けて、雨上がりのどんよりとした曇り空の下、忘れ去られた北海道の歴史の一つを確認するため、そして廃墟マニアの趣味を満足させるために、まだ雪の残る鴻之舞を訪れたのである。
これは金竜町にあった銭湯の浴槽だろう。
コンクリートの壁にはカランを取り付けていた金具も残っていた。
この様に、はっきりとその用途が分かる遺構を見つけると、廃墟マニアとしてはとても感動する。
鉱員住宅跡。
コンクリートの住宅は側だけはそのまま残るが・・・。
窓から侵入する葡萄の蔓、部屋の中から生える樹木、自然の力に抗うことはできない。
そんな部屋の中にポツンと置かれた薬缶だけが、とてもリアルである。
住宅の外で枯れ草に埋もれた洗濯機。
この古さがとても美しい。
謎の構造物。
地下へ下りる階段があるようにも見えるが、中には水が溜まっていて、その正体は不明。
蔵の建物は頑丈に造られているだけあって、廃墟と言った感じはない。
住友金属鉱山の書類等が保管されていたそうである。
壁の一面だけが残っている廃屋も多い。
正面だけがコンクリート製だったのだろうか。
ここも壁と煙突だけが残っている。
小学校の建物らしいが、昔の地図を見ると映画館のあった場所にも思える。
橋脚マニアも喜びそうだ。
トロッコ軌道の橋脚らしい。
この上を鉱石を乗せたトロッコが行き来していた様子を想像すると、宮崎駿の「天空の城ラピュタ」の世界が浮かんでくる。
鴻之舞鉱山の象徴でもあっただろう、元山精錬所の大煙突。
この煙突の下にも大きなコンクリート製の建物が見えていたが、そこまでは近づけなかった。
基本的にこの付近は立ち入り禁止になっている。
鉱石が捨てられた跡だろうか。
植物が何も生えていないところを見ると、今でも使われている場所なのかもしれない。
周りを埋められながらも、何故かこの木だけは大事に残されていた。
できれば坑口にも行ってみたかったけれど、立ち入り禁止なのであきらめるしかなかった。
これは道路から見える場所。
山の斜面には崩れた桟道が何層も見えている。
ここを人が行き来していたのか、軌道が通っていたのか、当時の姿を色々と思い浮かべてしまう。
これは火葬場の煙突らしい。
活き活きとした町の様子ばかりではなく、戦前の鉱山であれば当然のことながら暗い一面も抱えているはずである。
さすがにここに足を踏み入れる時は、自然と手を合わせてしまう。
以上の場所を見て回った後に(前ではなく)訪れて欲しい場所が上藻別駅逓である。
地元の有志の方々によって保存されている駅逓で、現存するのは北海道に10箇所しかないとのこと。
国の有形文化財にも登録されている。
鴻之舞金山の当時の姿を知ることができる。
ここを管理している方が丁寧に当時の様子を説明してくれ、ジオラマで当時の町の姿を知ることができる。
自分が見てきた廃屋とそのジオラマを見比べてみるのも面白いだろう。
詳しくは上藻別駅逓保存会のホームページへ。
基礎だけが残る廃屋などを楽しむためには、夏草に覆われる前、雪解け直後に見に行くのが良い。
ただし、そこらを歩いていると民家の便槽跡に落ちることもありえるので注意しよう。
まあ、一般の方がそんな場所にまで足を踏み入れることはないだろう。
道路からでも十分にその姿は楽しめるので、北海道の貴重な歴史遺産に足を運んでみることをお勧めしたい。
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俺とkazuさんの共通の知り合いが、ここの小学校出身でしたよ。
鴻之舞小学校でググれば、彼の鴻之舞についてのページが見つかるんじゃないかな。
俺も2年くらい前に息子の廃線調査に付き合って遠軽まで行った時、
ここまで来たんだから行ってみようかなぁとも思ったんだけど、
真冬だったので、道が通じてなく、諦めたのでした。
息子、廃線だけじゃなくて、廃墟ファンでもあるので、
この記事、興味深げに見てましたよ~。
hoshibooさん、こんにちは。
鴻之舞小学校出身の方がいらっしゃっるのですか!
そんな方がこの遺構を見たら、感慨深いものがあるのでしょうね。
ちなみに私の出身小学校は新しい建物に変わってしまっているので、そこに行っても何の感慨もありません。
こうして基礎だけでも残っていると、当時の記憶が鮮やかに蘇りそうですよね。
息子さんと趣味が同じで嬉しいです。(笑)